かつてベンチャーキャピタル(ベンチャー企業に投資をする会社)で働いていた友人の経験談が面白かったので記事にしてみました。
ベンチャー企業というと成功例ばかりを目にすることが多いので、才気あふれる若い社長がポーンと一発あてた、というようなイメージばかり思い浮かびますが、現実はそんな生易しくないですね~。
それでは、ベンチャー企業の光と影について生々しいリアルな実態をご覧ください。
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騙されるほうが悪い世界?!
アーリーステージのベンチャーには貧しい会社が多い。
今回の物語の主役である、E社はまさにその典型的な会社だった。
E社はプラネタリウムソフト開発(アニメーション製作)をしていた。
この会社の不幸は、悪徳商社と販売代行の契約を結んだところから始まった。
この悪徳商社は、E社の作成したプラネタリウムソフトの販売を代行していたが、ソフトは順調に売れているにもかかわらず、E社への支払いを何度も不当に遅らせたのである。
支払いを遅らされることは、金のないベンチャー企業にとって命を絶たれることに等しい。
E社はみるみるうちに資金繰りに行き詰まり、悪徳商社に販売権を乗っ取られそうになる寸前までいってしまった。
会社経営の世界ではこういうことはよくある。騙されたほうが悪いというヤクザな世界なのだ。
大手企業で働いている人々には全く信じられないようなことが横行しているのである。
せっかくのチャンスを…
悪徳商社によって騙されたE社は税金を支払うこともできないよう資金状況であった。
タイミングの悪いことにちょうどそのころ役所関係の大きな仕事を受注できそうなチャンスが舞い込んでいた。
しかし、役所関係の仕事は税金未払いだともらえない。せっかく起死回生のチャンスが目の前にあるにもかかわらず、税金が払えないせいで何もできないのである。。
藁をもすがる思いで
E社は何とかして資金を調達する必要があった。
資金繰りに行き詰まると銀行は決して金を貸してはくれない。
E社のような小さな会社が、資金を調達するには、ベンチャーキャピタルのような投資会社や、最悪、消費者金融を頼るしかないのである。
そんな中、E社が投資会社の私のところをワラをもすがる思いでやってきた。
しかし、、、その思いもむなしく、わが社の5人の審査委員の判断は「ノー」であった。
最終的にE社の審査をこの年に3回もやったが、審査委員が首を縦にふることはなかった。
現実はやはり厳しいのだ。
貧乏生活へ転落
何とかしてやりたいと思っていた私のところへ、その年の年末、E社の社長からメールが来た。
その内容を見て思わず驚きの声が出た。
「もうすぐ正月だというのに、私の手元には1万円しかありません。」
貧乏学生なら笑ってすませる話だが、いい大人である。
しかも、ソフト開発の技術は一流で優秀な人間なのに、このような境遇になってしまっているという恐ろしさ。
このメールを見たときはさすがにいたたまれなくなり、パンと牛乳を差し入れにE社へ行ったりした。
その後、社長は一人になり会社と自宅の家賃も払えず、未払い家賃のオフィスに寝袋で暮らすという、悲惨な生活を送っていた。
六本木ヒルズで豪遊するようベンチャー社長のイメージとはかけはなれた暮らしである。
貧乏脱出作戦 ~起死回生の300万円~
E社の社長のソフト開発のノウハウと熱意は優れたものがあった。
だからこそ私も何とか審査委員達を説得しようと奮闘したが、結局、私の思いは通じず、わが社からE社へ投資することは叶わなかった。
そこで私は会社ビジネスと関係なくボランティアで1万円とか3万円とかを個人投資家にお願いしてみることにした。
私の持てる人脈をフル活用して、数多くの個人投資家に打診しまくった。
すると、なんと100万円出してもよいという人が現れたのだ!
その後も他の個人投資家たちに話を持ちかけ、最終的に300万円をE社に出資できることとなった。
そのおかげでE社は未払いであった税金を払うことができた。
そしてついに某市から3000万円の大きな仕事を受注することができたのである。
まさにこの300万円で起死回生を果たしたといえる。
その後の顛末
それから約2年間、E社の社長は1人でホームレス(会社の中に住んでいる)状態ながらも営業を続け頑張った。
2003年をなんとか生き延び、2004年春に年商20億円の教育関連会社の企画部門担当として、1000万円の出資を受けることができた。
このようにしてE社は徐々に立ち直っていった。
現在は、某市のプラネタリウム運営事業者として従業員も5名ほどになり健全な会社として今後の更なる飛躍を目指している。
よかったね!
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